June 29, 2009
教師先導型授業
「授業」には大別すると2種類ありあす。それは教師先導型と学生主導型授業の二つです。前者は我々日本人がなんの疑いもなく受けてきた授業のスタイル。教室という空間の中で、情報の送り手(教師)一人に対し、複数の受け手(生徒)がいる状態を指します。
知識の伝達を教育の前提とするならば、「知らない」者に対し「知る」者が知識を与える図式が最も一般的な教育のスタイルとなります。ここで行われる「知らない」を「知る」に変えていく作業は、人間が本来持つ知的好奇心を満たす作業であり、「喜び」や「驚き」といった知的興奮を呼び起こすエキサイティングな行為が本来の教育である、といえます。
しかし今現在、世の中で膨大な頻度で行われている「授業」と呼ばれる知識伝達の時間の中で、いわゆる一般的なスタイルとして定着しているであろうこの先導型授業は、どれだけ受け手の知的好奇心を刺激できているでしょうか。教育本来の目的を失い、中身の伴わない儀式と化している「授業」が実在してしまっているということも、私の経験上認めざるを得ません。
教育が義務となり、「知る」ことが「喜び」ではなく「責任」となったとき、教育の目的がいつしか送り手と受け手の「しなければならない」ものと存在を変えてしまったのではないか、少なくとも教育の意味が明確ではなくなってしまったのではないか、と思えてなりません。
しかし、教師先導型の授業スタイルが知的興奮を伴う知識の伝達という教育本来の目的に適していないわけではないのです。「しなければならない」ものだからこそ、情報の送り手(教師)の創意工夫が問われるということは、授業を考えるその1・その2・その3で先述した通りです。世の中にはとても素晴らしいアイデアの詰まった、思わず受けてみたいと思わせるような授業が数多く存在しています。事実そのどれもが情報の伝達の仕方に独創性があるものばかりです。
情報の伝達には色々な方法が存在します。同じ「こんにちは」でも伝え方はたくさんあります。大声でいうこともできれば、小声でつぶやくこともできる。文字や絵にして伝えることも可能です。「こんにちは」にゼスチャーをつけて体で表現してもいい。コミュニケーションの方法は一定ではないのです。一度、「授業」という言葉の持つ形式性、授業とはこういうものだという固定された概念を取払い、我々情報の送り手(教師)は伝達する手段や方法に対して誰よりも高い意識を持つことが「喜び」や「感動」の伴う授業を行う第一歩ではないかと思うのです。
知識の伝達を教育の前提として教師先導型授業の輪郭を捉えてきましたが、ここで教育に「体験」や「実感」を加えてみるとどうでしょう。知識の伝達はとても有意義な行為ではありますが受け手本人の「体験」が伴わないことも事実です。そこででてくるのが後者の「学生主導型授業」です。
つづく。
「授業」には大別すると2種類ありあす。それは教師先導型と学生主導型授業の二つです。前者は我々日本人がなんの疑いもなく受けてきた授業のスタイル。教室という空間の中で、情報の送り手(教師)一人に対し、複数の受け手(生徒)がいる状態を指します。
知識の伝達を教育の前提とするならば、「知らない」者に対し「知る」者が知識を与える図式が最も一般的な教育のスタイルとなります。ここで行われる「知らない」を「知る」に変えていく作業は、人間が本来持つ知的好奇心を満たす作業であり、「喜び」や「驚き」といった知的興奮を呼び起こすエキサイティングな行為が本来の教育である、といえます。
しかし今現在、世の中で膨大な頻度で行われている「授業」と呼ばれる知識伝達の時間の中で、いわゆる一般的なスタイルとして定着しているであろうこの先導型授業は、どれだけ受け手の知的好奇心を刺激できているでしょうか。教育本来の目的を失い、中身の伴わない儀式と化している「授業」が実在してしまっているということも、私の経験上認めざるを得ません。
教育が義務となり、「知る」ことが「喜び」ではなく「責任」となったとき、教育の目的がいつしか送り手と受け手の「しなければならない」ものと存在を変えてしまったのではないか、少なくとも教育の意味が明確ではなくなってしまったのではないか、と思えてなりません。
しかし、教師先導型の授業スタイルが知的興奮を伴う知識の伝達という教育本来の目的に適していないわけではないのです。「しなければならない」ものだからこそ、情報の送り手(教師)の創意工夫が問われるということは、授業を考えるその1・その2・その3で先述した通りです。世の中にはとても素晴らしいアイデアの詰まった、思わず受けてみたいと思わせるような授業が数多く存在しています。事実そのどれもが情報の伝達の仕方に独創性があるものばかりです。
情報の伝達には色々な方法が存在します。同じ「こんにちは」でも伝え方はたくさんあります。大声でいうこともできれば、小声でつぶやくこともできる。文字や絵にして伝えることも可能です。「こんにちは」にゼスチャーをつけて体で表現してもいい。コミュニケーションの方法は一定ではないのです。一度、「授業」という言葉の持つ形式性、授業とはこういうものだという固定された概念を取払い、我々情報の送り手(教師)は伝達する手段や方法に対して誰よりも高い意識を持つことが「喜び」や「感動」の伴う授業を行う第一歩ではないかと思うのです。
知識の伝達を教育の前提として教師先導型授業の輪郭を捉えてきましたが、ここで教育に「体験」や「実感」を加えてみるとどうでしょう。知識の伝達はとても有意義な行為ではありますが受け手本人の「体験」が伴わないことも事実です。そこででてくるのが後者の「学生主導型授業」です。
つづく。
理解してもらえる努力
良い授業とは、優れた発信者と良き聞き手によって作られるものであると思うのです。そしてそれはなにも、特別な能力がないといけないわけではなく、双方の意識の持ち方で、同じ内容の授業でも、その理解の度合いは格段に違ってくるのではないかなと思います。
僕が授業を計画するときはその回の中で「達成すべきこと」を定めます。その授業での「目的・ゴール」といってもよいでしょう。単発の授業、毎週レギュラーの授業様々ありますが基本的には一緒です。毎回ひとつの「目的・ゴール」を掲げ、目指す。授業の進行を明快にし受け手と共有することで理解の手助けとしています。
これは学校によっては「シラバス」といい、授業ごとの内容を簡単にまとめたものを用意する場合もあるようです。そしてシラバスは前もって学習者に配られ「その日この授業ではこんなことをするんだ」という受講の際の目安となります。ただその位置づけは学校によって異なり、学習進行のあくまで目安という形で、授業の進行とともに内容や進度によってシラバス通りに進まない場合も多く見られるようです。話を戻します。
授業での目標はなんでもいいんです。小さいことでも良い。僕は例えば、広告の実技制作の授業をする日でしたら、一回目の授業の目標は自ずと制作のための「広告に対する理解」と「出題」となります。そしてこの授業での最大の目的は、広告に対する知識の習得と、課題の出題内容を受け手全員に「100%理解させる」ことになります。
本来、授業というものはとてもクリエイティブなもの。面白いといわれる授業のほとんどは受け手のことを考え、伝達の方法に創意工夫がなされたものばかり。教師という職能は、あの手この手を使って受け手のあらゆる感覚器官を刺激し、自分の方へと意識を傾け、知識の伝達に努めているのです。授業は対話であり、人と人とのコミュニケーションです。時としてそのことを忘れてしまうと、授業は一方通行の情報の押し付けになってしまいます。自分の話(授業)を聞いている人の気持ち、あなたは考えてみたことありますか?
授業を考える その1
授業を考える その2
良い授業とは、優れた発信者と良き聞き手によって作られるものであると思うのです。そしてそれはなにも、特別な能力がないといけないわけではなく、双方の意識の持ち方で、同じ内容の授業でも、その理解の度合いは格段に違ってくるのではないかなと思います。
僕が授業を計画するときはその回の中で「達成すべきこと」を定めます。その授業での「目的・ゴール」といってもよいでしょう。単発の授業、毎週レギュラーの授業様々ありますが基本的には一緒です。毎回ひとつの「目的・ゴール」を掲げ、目指す。授業の進行を明快にし受け手と共有することで理解の手助けとしています。
これは学校によっては「シラバス」といい、授業ごとの内容を簡単にまとめたものを用意する場合もあるようです。そしてシラバスは前もって学習者に配られ「その日この授業ではこんなことをするんだ」という受講の際の目安となります。ただその位置づけは学校によって異なり、学習進行のあくまで目安という形で、授業の進行とともに内容や進度によってシラバス通りに進まない場合も多く見られるようです。話を戻します。
授業での目標はなんでもいいんです。小さいことでも良い。僕は例えば、広告の実技制作の授業をする日でしたら、一回目の授業の目標は自ずと制作のための「広告に対する理解」と「出題」となります。そしてこの授業での最大の目的は、広告に対する知識の習得と、課題の出題内容を受け手全員に「100%理解させる」ことになります。
本来、授業というものはとてもクリエイティブなもの。面白いといわれる授業のほとんどは受け手のことを考え、伝達の方法に創意工夫がなされたものばかり。教師という職能は、あの手この手を使って受け手のあらゆる感覚器官を刺激し、自分の方へと意識を傾け、知識の伝達に努めているのです。授業は対話であり、人と人とのコミュニケーションです。時としてそのことを忘れてしまうと、授業は一方通行の情報の押し付けになってしまいます。自分の話(授業)を聞いている人の気持ち、あなたは考えてみたことありますか?
授業を考える その1
授業を考える その2
January 27, 2009
日本和装のCM。
とても良いですね。
「妻がピーコに褒められる」ってコピー、最高です。
歌も記憶に残るし、調べたら他にもシリーズがありました。
どれもよいです。
http://www.wasou.com/course/ad.html
麻生祐未さん、きれいな人だなーって思ったら、こんなニュースも。
麻生祐未、離婚していた!
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/marriage_and_divorce/?1233012696
