October 18, 2009

最近、クレジットカードをはじめ、電子マネーや、各種ポイントカード、SuicaやPASMOといったキャシュレスサービスがふえてます。

とはいえ、各種サービスの特典やポイントなどを有効に使えていない人も多数いるようです。僕もその一人。僕は現状は、定期的な支払いの大半をTSUTAYAのTカードにまとめ、そのポイントで、TSUTAYAを利用してたりします。でもその程度。クレジットカードにもなんだかポイントらしきものがついてますがいまいち活用の仕方がわからないし、なによりめんどくさい。

今朝、ガッチリマンデーという情報番組で、まさしく上記の内容のごとく特典やポイントを上手に利用すると、こんなにお得!という企画を放送していた。

放送後なにげなく電子マネーEdyのサイトにアクセスしたら、混み合っていてつながらない、だって。考えることは同じというか、やはり需要のあるテーマなんだろうな。

そういえば、アメトークの家電芸人でも、ポイントの話の中で、マイルの話がでてたのを思い出した。マイル芸人やりましょうとかいってたけど、あながち冗談でもなんでもなく、いち早くやれば視聴率もとれるのかも。

確かに自分で調べるより、なるだけわかりやすく教えてほしいことってある。経済とか政治とかもそう。でも、生活に直結してるクレジット特典やポイントなんかのほうが、よりユーザーには響くんだろうなあ。

僕はとにかくすべての出費がマイルとなって貯めるやり方が知りたいなあ。アメトークはやく企画して。
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September 23, 2009

授業でのチーム作り

教育的効果という側面から、チームティーチング、グループ制作の有効性があらゆる方面から聞こえてきます。教師対数十名の生徒という従来型の授業形態を打ち破り、新たな教育法の一環として注目をあびているようです。

デザイン教育の世界でもチーム制作や、グループ学習はよく取り入れる手法です。僕も自分の受け持つ授業では頻繁にチームを作らせ、制作をしたり、グループを組ませ、企画や検討をさせたりしています。こういった授業を行う利点は授業内での気付きや発見を促進し、自然とコミュニケーションが生まれる仕掛けにあります。そういった意味では教育方法の中でも非常に有効な手段のひとつであるのは間違いありません。

チームとグループの違いについて、ウィキペディアを引用します。

チームとグループの違い
ワーキング・グループの目的はメンバー個々の業績水準を底上げすることであり、その成果は個人の成果の総和にしかならない。いっぽうチームには、他人の意見に耳を傾け、建設的に反応し、ときには他人の主張の疑わしき点も善意に解釈し、彼らの関心ごとや成功を認めるといった価値観が集約されたチーム・ワークが存在し、その成果は集合的作業成果による共同の貢献が含まれるので、グループのそれより大きくなる。

これは学習目的とその到達点の違いともいえます。個々の教育成果に対する相乗効果を主目的とする「グループ」と、ある目的に向かう過程の価値観を他者と共有し、個人ではなしえない成果を出すことに重点を置く「チーム」。これを「グループ」と「チーム」の定義とすると授業を構築する上で非常に興味深い境界線となります。

ちなみに、チーム制作、グループ制作といったキーワードで検索をかけると、その授業の目的、授業の結果や成果等の情報は得られるものの、実際にどのようにグルーピングが行われているかについてはほとんどといっていいくらい情報がありません。「まず◯名のグループを作り〜」というところから話が始まっていたりします。グルーピングの代表的な手法としては、普段仲の良い友人でグループを作る方法や、くじを引くなどして本人の意志とは関係なく偶然性に頼ったグループ分けの方法などがあげられますが、おそらく大体のグループ学習で使われている手法ではないでしょうか。そしてそれは個々の教育効果の向上を目的とした、「グループ」の定義に当てはまる、理にかなう授業形態なのかもしれません。

ここからは仮説ですが、それでは、「チーム」に定義される教育効果を目標とした授業を計画する場合、前述したグルーピングの方法で良いのかどうか、という疑問が生まれます。他者との関係が教育成果に大きく影響を与える「チーム」においては、その作り方の重要性は無視できません。逆に「チーム」に定義される教育効果を目標としているにも関わらず、「グループ」と混同した授業形態になっていないかどうかの検証も有意義なものと言えます。

現在計画している授業シラバスに、新たな視点での「チーム」作りを取り込めないものかと頭を悩ませている毎日です。
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June 29, 2009

教師先導型授業

「授業」には大別すると2種類ありあす。それは教師先導型と学生主導型授業の二つです。前者は我々日本人がなんの疑いもなく受けてきた授業のスタイル。教室という空間の中で、情報の送り手(教師)一人に対し、複数の受け手(生徒)がいる状態を指します。

知識の伝達を教育の前提とするならば、「知らない」者に対し「知る」者が知識を与える図式が最も一般的な教育のスタイルとなります。ここで行われる「知らない」を「知る」に変えていく作業は、人間が本来持つ知的好奇心を満たす作業であり、「喜び」や「驚き」といった知的興奮を呼び起こすエキサイティングな行為が本来の教育である、といえます。

しかし今現在、世の中で膨大な頻度で行われている「授業」と呼ばれる知識伝達の時間の中で、いわゆる一般的なスタイルとして定着しているであろうこの先導型授業は、どれだけ受け手の知的好奇心を刺激できているでしょうか。教育本来の目的を失い、中身の伴わない儀式と化している「授業」が実在してしまっているということも、私の経験上認めざるを得ません。

教育が義務となり、「知る」ことが「喜び」ではなく「責任」となったとき、教育の目的がいつしか送り手と受け手の「しなければならない」ものと存在を変えてしまったのではないか、少なくとも教育の意味が明確ではなくなってしまったのではないか、と思えてなりません。

しかし、教師先導型の授業スタイルが知的興奮を伴う知識の伝達という教育本来の目的に適していないわけではないのです。「しなければならない」ものだからこそ、情報の送り手(教師)の創意工夫が問われるということは、授業を考えるその1その2その3で先述した通りです。世の中にはとても素晴らしいアイデアの詰まった、思わず受けてみたいと思わせるような授業が数多く存在しています。事実そのどれもが情報の伝達の仕方に独創性があるものばかりです。

情報の伝達には色々な方法が存在します。同じ「こんにちは」でも伝え方はたくさんあります。大声でいうこともできれば、小声でつぶやくこともできる。文字や絵にして伝えることも可能です。「こんにちは」にゼスチャーをつけて体で表現してもいい。コミュニケーションの方法は一定ではないのです。一度、「授業」という言葉の持つ形式性、授業とはこういうものだという固定された概念を取払い、我々情報の送り手(教師)は伝達する手段や方法に対して誰よりも高い意識を持つことが「喜び」や「感動」の伴う授業を行う第一歩ではないかと思うのです。

知識の伝達を教育の前提として教師先導型授業の輪郭を捉えてきましたが、ここで教育に「体験」や「実感」を加えてみるとどうでしょう。知識の伝達はとても有意義な行為ではありますが受け手本人の「体験」が伴わないことも事実です。そこででてくるのが後者の「学生主導型授業」です。

つづく。
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about
better by design.

デザインって伝えること
わかりにくい、を「わかりやすい」に
むずかしい、を「かんたん」に
しらない、を「しる」に
していくための、概念だと思います。
良いデザインってなんだろうって、
日々、デザインのことを考えています。

デザイン&教育研究中。
月岡 正明
makki@be.to

お問い合わせ、
ご連絡はお気軽にどうぞ。

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兄弟ブログ、みたいなもの。
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なかのひと

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