授業を考える。その3

理解してもらえる努力

良い授業とは、優れた発信者と良き聞き手によって作られるものであると思うのです。そしてそれはなにも、特別な能力がないといけないわけではなく、双方の意識の持ち方で、同じ内容の授業でも、その理解の度合いは格段に違ってくるのではないかなと思います。

僕が授業を計画するときはその回の中で「達成すべきこと」を定めます。その授業での「目的・ゴール」といってもよいでしょう。単発の授業、毎週レギュラーの授業様々ありますが基本的には一緒です。毎回ひとつの「目的・ゴール」を掲げ、目指す。授業の進行を明快にし受け手と共有することで理解の手助けとしています。

これは学校によっては「シラバス」といい、授業ごとの内容を簡単にまとめたものを用意する場合もあるようです。そしてシラバスは前もって学習者に配られ「その日この授業ではこんなことをするんだ」という受講の際の目安となります。ただその位置づけは学校によって異なり、学習進行のあくまで目安という形で、授業の進行とともに内容や進度によってシラバス通りに進まない場合も多く見られるようです。話を戻します。

授業での目標はなんでもいいんです。小さいことでも良い。僕は例えば、広告の実技制作の授業をする日でしたら、一回目の授業の目標は自ずと制作のための「広告に対する理解」と「出題」となります。そしてこの授業での最大の目的は、広告に対する知識の習得と、課題の出題内容を受け手全員に「100%理解させる」ことになります。

本来、授業というものはとてもクリエイティブなもの。面白いといわれる授業のほとんどは受け手のことを考え、伝達の方法に創意工夫がなされたものばかり。教師という職能は、あの手この手を使って受け手のあらゆる感覚器官を刺激し、自分の方へと意識を傾け、知識の伝達に努めているのです。授業は対話であり、人と人とのコミュニケーションです。時としてそのことを忘れてしまうと、授業は一方通行の情報の押し付けになってしまいます。自分の話(授業)を聞いている人の気持ち、あなたは考えてみたことありますか?

授業を考える その1
授業を考える その2


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